わたしたちはたくさんの「モノ」に囲まれて生活しています。その一つ一つは誰
かが考えて作ったものですが、すべてが心地よいかというと必ずしもそうではあり
ません。自分に合わせてあつらえたり、選んだり、簡単に買うことができるものは
ともかく、多くの人々が利用する公共空間では、不便を我慢するしかない場合があ
ります。
利用できるのならまだましです。ほんの数センチの差で利用できなかったり、生
きた心地がしない危険な思いをするときさえあるのです。「モノ」や空間だけでは
ありません。公共のサービスにおいても同じような場面があります。ある限られた
条件の人しかたどり着くことができないインターネット上の公共の情報もありま
す。一体どうしてそんな不平等なことが放置されたままなのでしょうか。
それは「ミスターアベレージ=平均的成年男性」中心に社会がつくられてきたか
らです。本来であれば世の中の公共性の高いもの、場所、サービスなどは、年齢・
性別・能力・状態の違いにかかわらず誰もが当たり前に享受できることが理想です
が、「平均的成年男性」を基準につくられてきたこれまでの価値観が障害となっ
て、平均に当てはまらない人々にとっては実に暮しにくい社会環境となっているの
です。人の状況は多様に変化し続けます。少子高齢社会となった今、これまでの価
値基準では通用しません。
行政や公益にかかわる人は、既成の価値基準を見直し、不便を強いられる当事者
の声に耳を傾け、すべての人ができる限り利用可能なように、「モノ」、空間、サ
ービスなどを考え、実施する努力が必要なのではないでしょうか。
(2005年5月14日 秋田魁新報「NPOの風」より )
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